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【書評】『サイコパス』中野信子 【感想】

ヤノマミ族においては、殺人をすることで集団内での地位があがります

 

サイコパス (文春新書)

 

本のタイトルは『サイコパス』という一単語。

本を売る側からすれば、この一語だけで読み手の興味を惹きつけることができるという自信の現れです。

実際、サイコパスは

社交的で魅力的

トークやプレゼンテーションも、抜群に面白い

存在です。

この本のタイトルが『サイコパス』一語で、私の関心をあっさりつかんだところに、

サイコパス性を感じます。

あとは、この本と私の付き合いがどれくらい続くのか。

サイコパスは長期的な人間関係を築くことが苦手

なのですが、恋愛においては

サイコパス同士は惹かれ合う

傾向にあるようです。

この本、ひいてはサイコパスという概念と私の付き合いが深く長く続くのか、

気がつけば本棚の奥に見つけて「あっこんな本あったな~」と思い出すような薄い関係になるのかで、

私自身のサイコパス傾向も見えてくるのかもしれません。

 

本書で著者も述べていますが、

サイコパスは研究対象として「そそる存在」です。

なぜなら、いわゆる普通の人をいくら観察しても「人間とはなにか」が見えてこないからです。 

サイコパスとは、普通の人と比べて「何かが欠けた存在」なのです。

 

具体的にこう述べられています。

 

・扁桃体の活動レベルが低い

・眼窩前頭皮質や内側前頭皮質の活動レベルが低い

・それらの結びつきが弱い

 

これらの条件のうちひとつでも満たすとサイコパスとなります。

 

扁桃体は海馬にくっついている、感情にかかわる脳部位です。

 海馬にくっついていることからわかるように、記憶と感情を結びつけています。

眼窩前頭皮質や内側前頭皮質は、前頭前野と呼ばれる脳部位の一部で、

前頭前野は「人間性」や「自我」が宿っているといわれる部位です。

カンタンに言えば、前頭前野があってこそ「人間らしさ」を持つことができるのです。 

 

 要するに

感情を生み出せない or 感情と高度な判断を結び付けられない

 のだと考えられます。

 

 何かが加えられているわけではないというのがポイントです。

 

何かが欠けたのがサイコパスなのであれば、健常者のふるまいがどのように成立しているのかが、サイコパスの観察によって明らかになります。

 

サイコパス+何か =健常者 なのです。 

 

サイコパスに限らず

双極性障害(うつ病)、サヴァン症候群、統合失調症、あるいは特定分野での天才や凶悪な犯罪者・・・。

彼らの仕組みを解き明かすことは、より安定的な社会への貢献にとどまらず、

 

人間とは何か

 

を知るのに大きく寄与するのです。

 

サイコパスを完全に理解できたとき、人間の理解はより深いレベルに達するのです。

 

 

 

私の知り合いにも、おそらくサイコパスであろう人間がいます。

はじめはとても魅力的に見えたのをよく覚えています。

しかしだんだんといくつかの特徴が見えてきました。

 

・話を盛る

・嘘をつく

・情報の出し惜しみをする

 

 私の場合、特に「情報の出し惜しみをする」のが非常に気になりました。

質問をしても、すぐには教えようとしないのです。

わざと遠回りな言い方をしたりして、情報を持っている自分の価値をできるだけ釣り上げようとする姿勢が伺えました。

自分をいいように見せることに関して天才的だと感じました。

 「話を盛る」にしても「嘘をつく」にしても、極めて戦略的なのです。

相手をコントロールしよう、支配的な関係におこうという意思がその裏側には感じられました。

 

私は最終的に彼を、

プレゼンテーションの達人で、良く言えば営業向き、悪く言えば詐欺的。

と表現していました。 

 

ですので、『サイコパス』に出てきた記述がまさに私の表現と一致していて驚きました。

 

 孤独感が強く、浮気性で、関係性を長く続けられず、付き合う相手がコロコロ変わる

 

実体験として持っていたので、我がことのように読み進めることができました。

 

サイコパスは都市生活のほうが向いているというくだりもありました。

 

私の1次情報ともことごとく一致しています。

 

 

 

 

私がアンダーラインを引いた部分をいくつかご紹介します。

 

(顔の)横幅の比率が大きい男性ほどサイコパシー傾向が高い 

私のイメージでは顔の横幅比率が大きい人ほど性的にアクティブです。

と、思ったらテストステロン値と横幅にも相関関係があるようです。

サイコパス性とテストステロン値にも関係があると考えられています。

 

心拍数がもともと低く、上がりにくい人のほうが、反社会的行動を取りやすい

心臓がバクバクすることで

「ああ、自分は今緊張している」「大変な状況にある」と追認識するという部分は確かにあります。

生得的に心臓がバクバクしにくい人は、

「大変な状況にある」という認識が起こりにくいのです。

それが共感性の低さ(裏を返せば大舞台に強い)につながっているという説です。

 

サイコパスは慢性的な退屈にあえいでいる

 基本的に感情が伴わないからですかね。

 

ポリグラフは、正確にいうなら「緊張検知器」であっって「ウソ発見器」ではない

普通の人はどうしてもウソをつくときに緊張が伴います。

しかし、ポリグラフ対策に熟練すると、緊張を無理やり抑え込むテクニックが使えるようになるようですし、

そもそもウソをついてもサイコパスは緊張しません。

それらを勘案すれば、ポリグラフの訳は「緊張検知器」とすべきことがわかります。

 

博愛主義者とは、特定少数の人間に対して深い愛情を築けないサイコパスなのかもしれません

マザー・テレサは、救ったあとの子供たちや自分の側近には非常に冷淡だったという記録があるそうです。

「残酷とも思える扱い」というフレーズまで出ています。

確かに、サイコパスかもしれないという視点は面白いですね。

 

不安および気分障害とサイコパスに関しては、負の相関があります

つまりうつ病とサイコパスは逆なのだ、ということです。

うつ傾向が高いような人はサイコパス傾向が低いのです。

これは非常に頭が整理される事実ですね。

 

ヤノマミ族においては、殺人をすることで集団内での地位があがります

 

殺人の数が多いほどモテる民族の存在には驚きました。

ヤノマミ族は、乱婚で、子育てをまともにしません。

生まれてくる(誰の子供かもはっきりしないような)子供を生かすか殺すかということに、集団としてのルールはなく、完全に母親に委ねられています。

 

ヤノマミ族と対照的なのはクン族です。

クン族は規律的・規範的で道徳的。

一夫一婦制で、育児もしっかりと行い 、配偶者選びは慎重。

という日本のような社会です。

 

この2つの社会は、生きる環境がまったく違います。

 

ヤノマミ族は非常に資源の豊かな場所に生きてます。

子供はほったらかしてても生き延びるような環境です。

クン族は砂漠に住んでいて、非常に過酷な環境にあります。

 

このことが示唆するのは、クン族にとって規範というのは、なければ滅んでしまうのだということです。

協力しあわなければ集団が滅んでしまう。生存に必要だからあるものなのです。

 

豊かな環境とは、人間にとってどういう意味を持つのか、考えさせられる例であるとともに、

サイコパス傾向の高い人間は、そういう環境のほうが生きやすい、ということが言えそうです。

 

サイコパスとは共存してゆく道を模索するのが人類にとって最善の選択であると私は考えます。

サイコパスは大体100人に1人と考えられています。

全然少ない数ではありません。

そして、人類の進化から考えて、

一定割合のサイコパスの存在は人間集団にとって必要なものだったと考えられます。

排除してはいけないのです。

サイコパスについて知ることです。

異質なものは学ばなければいけません。

 

サイコパス (文春新書)

サイコパス (文春新書)

 

 

P.S 

で、お前はどーなのか?ということについて。

 

サイコパス診断で用いられる「最後通牒ゲーム」では、

私は完全にサイコパスという結果になりました。

しかしこれは単に私が合理的な判断を下しただけに過ぎないように感じます。

 

感情は確かに、合理的思考の邪魔をします。

ですのでサイコパスが合理的思考に優れているのは納得できますが、

感情は感情で分けて思考することも人間にはできるのです。

私は自分では共感性が強いと思っています。

テレビでの、ドッキリとか悲しい話とかハプニング映像とか全般大嫌いですが、

それは不可避的に感情を強く揺さぶられるのが嫌だからです。

私は少し前にネットで話題になった(?)共感性羞恥が強くあります。

matome.naver.jp

ドッキリなんかを見ていられないのです。

これはミラーニューロンの強い働きでしょうから、共感性が強い(サイコパス傾向が低い)わけです。

 

合理性が関わってくる部分に関しては、サイコパス特性が強くでていますが、共感性が関わってくる部分に関しては弱いです。

 

それは、単に、感情は感情、思考は思考と切り離しているからでしょう。

 

総じて、私はサイコパスではないな、というのが読後の実感です。

 

あなたは、この本を読んでどう感じるでしょうか?