時短読書ハック Sakatoの書評ブログ

地方在住アラサー男2代目社長兼 筋トレ健康オタクSakatoによる雑記雑食書評ブログ  ※ブログ工事中!

雑記 「身体が硬いからできない」は部分的に正しいが、完全な表現ではない。

 
背中トレが上達してきたように思う。
昨日新しい感覚として掴んだのはチンニング
肋骨を上に突き出しながら身体を持ち上げる。
先に体幹を動かしてから、腕で引くという「順序」が大切なようだ
体幹の感覚だけで最後まで行こうとすると引ききれない。
 
デッドリフトはハーフで行ったが、2セット終わった時点でもうハムが痛かった。
よっぽどいままで伸ばしてなかったようだ。
 
思うのだけれど
 
身体の中で「意識にない部分」は、自然と使えなくなっている
例えば「腹圧」なんて普通に生活していたら、存在に気づかない。
そういうことが細かいレベルでたくさんあって、全然使われない部分が出てくる。
その部分が固くなってそもそもハードウェアとしても動きにくくなる。
 
そうなった状態を差して「柔軟性が足りないからできない」と表現されているようだけど
多分、じゃあそこを柔軟にしようとしても、
そもそも意識が通っていないから動かしたり伸ばしたりすることが難しい。
柔軟性を上げるという表現は部分的表現で、
本当は動いていないところに意識を通さなければならない
意識が通れば、動かせるし、伸ばすこともできるから、勝手に柔軟性は高まる。
「身体が硬い」のは見かけ上の話で、本当は「意識が通っていない」のだ。
 
意識を通すひとつの方法としてストレッチはあると思うし、
そもそもスクワットなどのフォームを試行錯誤するのも
意識を通そうとすることだと思う。
 
いつだって本質はソフトウェアの方にある。
ハードウェアに現れている問題は、ソフトウェアに発生した問題の現れだ。
 
僕個人の話でいうと
 
筋トレはいいとしても、
ストレッチをハードウェア的な単に筋肉を伸ばすものと捉えていたことを反省している。
ストレッチ「も」自身の身体をより深く捉えるための、一種の運動なのだ。
そのフォーム、意識の向け方、位置やタイミング、スピード、感覚。
脱力や、イメージとは真逆だが「力感」さえも!重要なファクターである運動として捉えなければならない。