時短読書ハック Sakatoの書評ブログ

地方在住アラサー男2代目社長兼 筋トレ健康オタクSakatoによる雑記雑食書評ブログ  ※ブログ工事中!

自分がフィルターなのだ。

 
今回は、まだまだ、自分の中に生まれたばかりの着想を、書いてみようと思います。
今までなら、そういった着想はもっと寝かせてから
実践を経てから表現するのですが
未熟な過程にこそ、求められるものがある時代かと思い、キーを叩いてみます。
 
今まで、自分から生まれてくるものをニーズというフィルターを通して発信してきたように思います。
 
自分から生まれてくるものとはつまり
言いたいこと、とか。
疑問に思うこと。
どうしても伝えたいこと、訴えたいこと、などです。
 
ニーズというフィルターとはつまり
人に求められているか
人がそれを読みたい・聞きたいと思うか
人にとって必要なことなのか、などです。
 
まぁ、発想としては「思っても意味のないことは話さない」という感じです。
その結果か、私は普段からあまりしゃべりません。
もともとは余計なことまで延々考えるタイプでしたので
言いたいことは割とあるはずなんですが、
ニーズというフィルターを通すと、ほとんどが消えてなくなってしまうんですね。
 
自分が中心にあって、周りにニーズ(他人の目、他人の要求)というフィルターがある。
僕の出力は、そのフィルターに大体が絡めとられてしまう。
(もちろんそのフィルターを生み出しているのは突き詰めると自分ですが)
そんな図式になっていたように思います。
 
しかし、今、そもそもこの図式が間違っていたように思うのです。
 
正しくは
ニーズが中心にあり、そこに自分というフィルターを通して出力する
ではないのか。
 
けして自分を殺すわけではありません。
ただただ他人の言いなりになるのでもありません。
ニーズを取りに行って、自分の中に取り込み、そして出力するのです。
中心はニーズの方にあります。
かつての自分が中心の感覚では、
そもそもニーズに対する感覚が弱いのです。
 
「今、世の中は何を求めているのか」
「今、目の前のこの人は、何が満たされていないのか」
を中心に据えます。
 
むしろこちらは自分というフィルターのほうが意識の上では希薄です。
実際は希薄ということはなく、自然と個性は出るものですので心配はいりません。
先輩方がそうおっしゃっています。
 
今回得たのは
ニーズに対する感覚こそが、中心に据えるべき最も重要でものである。
という、着想です。
 
そうすることで、自分というフィルターが研ぎ澄まされていく、というイメージを持つと、
けっこうワクワクします。
 
「情報を取りに行く」って、そういうことなのかもしれません。