さかとの成長あるのみ!

地方在住アラサー男2代目社長兼 筋トレ健康オタクSakatoによる雑記雑食ブログ

「軽んじられた」なら、その事実をグッと全身に受け入れる

 
「話を聞く」ことと「舐められずに主導権を取る」ことを、対立的にとらえている人がいる。
 
つまり、「偉そうにしゃべっている方が上で、はいはいと聞いている方が下」という世界観だ。
 
しかしこの2つが対立関係にある限りは、低レベルの関係性だと言わざるを得ない。
 
 
「話を聞いている方が主導権を取っている状態」がきっと最高に豊かな状態だ。
 
 
どうすれば、この2つを対立させずに融合させることができるのか。
 
人間関係を一時的なものでなく、長く豊かにしていきたいと願うのなら、
 
このテーマは避けて通れないように思う。
 
 
舐められないために必死になればなるほど、人の話に耳を傾けることができなくなる。
 
逆に
 
気づいたら話を聞くばかりで、明らかに人から軽んじられていることがある。
 
 
これが対立関係である。
 
 
間違いなく言えるのは、曇りなく人の話に耳を傾けられるのは
 
もう舐める舐めないの次元を超えた本当の実力者なのだ。
 
 
「必死にしゃべるのに軽んじられる」のが最も低次元で
 
「全然しゃべらなくても軽んじられない」のが最も高次元だ。
 
 
つまり、おしゃべり云々関係なく「実力を認められる」ことがコトの本質である。
 
「人の話を聞くのが大切」なのは全く正論だが、
 
下に見ている人間に誰が自分の深いところの話を聞いてもらいたいだろうか?
 
 
「軽んじられた」なら、その事実をグッと全身に受け入れるのが正解だと思っている。
 
決して必死に喚いて抵抗したりしないことだ。私はしない(よく軽んじられるけど)。
 
その事実を認めて、味わってみて、さぁ、そこからどうするかだろう。
 
 
マジで、分不相応にわめくの、やめたほうがいい。
 
それくらいの実力だと天がせっかく教えてくれているのに。
 
分不相応に喚いて変にその場をおさめるから、そこから伸びないのだ。
 
おさまったのではなく、呆れ返られて無視され始めただけなのだが。
 
本人は気づけない。
 
分不相応に喚いたら、そこでゲームオーバーなのかもしれない。