どうもサカトです。
今回は「瞑想」のお話。
瞑想は独学ですので(?)(筋トレも栄養も独学ですが)、私個人の認識のお話となります(まぁいつもそうですが…w)
この記事では私が瞑想の経験を通して得た気づきの中でも「特に間違いないヤツ」を一つ、お伝えしたいと思います。
では早速いってみましょう。
まぶたの裏を観察する瞑想
ここのところ、「まぶたの裏を観察する瞑想」がちょっと楽しいのです。
「まぶたの裏を観察する瞑想」とは何かというと、そのままですが目を閉じたときに見えるものをひたすら観察する瞑想です。
目を瞑っても、そこに見えるのは完全な「真っ黒」ではないじゃないですか?
人によって違うのかもしれませんが、私の場合、なんとなく紫の模様みたいなのがうごめいたりしていることが多いです。
余談ですがたまにウトウトしているときなんかに、すごいことになることがあります。
「完全になんか見えてるじゃん!」みたいな…(ありません?)
思えばそれだけでもけっこう不思議なことなのですが…
まぁその「不思議さ」はとりあえず置いておいて。
ともかく『まぶたの裏を観察する瞑想』は「目を閉じて見えてくるものを観察し続ける瞑想」です。
なんとなく、イメージできましたでしょうか?
避けるべきは「自分で何かを勝手にイメージしてしまう」こと
で、これやってみるとわかると思いますが、普通に難しいです。
どう難しいかというと
まぶたの裏を観察するのではなく、自分で何かをイメージしてしまう
のです。
何かを勝手に想像してしまうのです。
「イメージに飲まれて」いる時は、ただボーッと夢を見ている感じに近いです。
逆に私の実感として、「観察」している時はすごく集中して脳が新しい刺激を得ている感じがします。
この違い、めちゃくちゃ重要。
それが私の発見です。
ヨギの成瀬雅春さんの本で間違ってないことを確認
なるほど、イメージしてはいけないな。あくまで見えてくるものを観察するだけだ。
という発見をしてから、ヨギの成瀬雅春さんの本を読み返してみるとドンピシャの表現があり、確信を強めました。
引用します。
イメージで作るんじゃなくて、実際に見るんです。
瞑想はイメージじゃないですから。実感ですから。
「実感」です。
イメージには「見えている」という実感が伴いませんね。
「実際に見る」というのが大切なポイントになります。
「まぶたの裏を観察する瞑想」で大切なこと
「まぶたの裏を観察する瞑想」で重要なのは
「イメージしてしまっている」ことと「ただ見えるものを観察している」ことを、出来るだけ明確に区別することです。
多分ですが、ざっくりとならけっこう簡単に区別できると思います。
脳の負荷が全然違いますからw
イメージに飲まれてる時はホントただボーッとしてるだけなので…
結局、サボれないんですよ。
ボーッとしても瞑想になっとらんのです。残念ですが。
以上のことは、私個人の瞑想体験の中でもかなりはっきりと掴めた内容です。
瞑想に興味がある方のちょっとしたヒントになるかな、と思います。
「まぶたの裏を観察する瞑想」、ぜひ挑戦してみてください。
それではまた。
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