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地方在住アラサー筋トレ健康オタクSakatoが究極の健康を追求するブログ

待つことは嫌いですか?【コミュ力の話】


あなたは「待つこと」が嫌いですか?



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思うに、待つことが得意かそうでないかで人は大きく2つに分類されます。


ぶっちゃけ


待つことが極端に嫌いな人は、普通の人づきあいは諦めたほうがいいのかもしれません



今回はそんなお話です。


「待つ」とはどういうことか


ちなみに最初に言いますと、私は待つことが大嫌いです。


とは言ってもですね

待ち合わせで待たされることは別にそんなに気になりません。



f:id:sakato0927:20190307152444p:plain:w80 「はぁ?どゆこと?」



って感じですよね。


大変申し訳ないのですが、

まずは私の考える「待つ」とはどういうことかを説明しなければ話ができないんです。


手間をかけさせて申し訳ないのですが、

これから「待ち合わせは問題ない」ということを説明しようと思います。

お付き合いいただければ幸いです。


待ち合わせに遅れた人を待つ


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私は、誰かと待ち合わせをしている状況で、

たとえ1時間待たされることになっても

多分、ほとんどストレスになりません。


昼寝したり、周辺を散歩したり、本を読んだり、ゲームしたりなど、

きっと何かしらに夢中になっていることでしょう。


「何かに夢中になっている」という点では普段と全く変わらないのです。

ですので、時間にルーズな人との付き合いはそこまで問題ないタイプです(状況にもよるでしょうが)。


だってそういうまとまった待ち時間は、ちゃんと詳細にみてみると

待ってない

からです。

何かしていますもん。

全然待ってない。


私のいう「待つこと」というのは、そういうことではないんです。



f:id:sakato0927:20190307152444p:plain:w80「じゃあお前の中での待ってる状態ってどんな状態だよ?」



って感じですよね。

では説明します。

私の考える「待つ」こと


私のいう「待つのが嫌い」はもっと短い単位での出来事です。

例えば・・・


廊下の離れたところから上司がこちらに向かって歩いてきている。

挨拶しなければと思う。

挨拶する。


の、「挨拶しなければ」と「挨拶する」の間の数秒間です


f:id:sakato0927:20190307152444p:plain:w70「は?何じゃそら」


って感じですよね。

わかります。


でも私、この数秒間が死ぬほど嫌いなんですよ。


この数秒間って、マジでじゃないですか。

この間、本当の意味での「待ち」です。

その間に他のことをするわけには行かないし、

意識をそらすこともできない。

純粋な「待ち」です。


この待ち時間が大嫌いなんです。


こういう時間を極力減らしていきたい人なのです。


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気を遣うことは「待つ」こと


常々思うのですが、気を遣うということは待つということですね。

気を遣う相手の話はもう先が読めても最後まで待たなければいけません。

「最後まで相手の話を聞きましょう」って、「ちゃんと待ちましょう」ってことです。


で、繰り返しますが私は

待つのが大嫌い

なのです。

待ちの感度


f:id:sakato0927:20190307154122p:plain:w70「何言ってんだ!ボケ

f:id:sakato0927:20190307154122p:plain:w80みんな待つのは嫌いだよ!

f:id:sakato0927:20190307154122p:plain:w100それでも家族のために一生懸命周りに気を遣ってがんばってるだよこのクズ!」



的な声が聞こえてきそうです。


私が言いたいことはこうです。


待ちが許容できる度合いは個人差が大きい


だから同じ「気を遣う」でもかかる負担が異なる


これは証明のしようがなく、完全に私の主観的な独断なのですが、

待つことを「どれくらい許容できるか」は非常に個人差が大きいように見受けられるのです。


もっと砕いていうと「待つことがあまりストレスにならない人」と「待つことがかなりストレスになる人」がいるのです。

どんどん無気力に


私はかなりストレスになる人です。

回避できない待ちが長引くにつれ、だんだん無気力になっていきます。

なぜならもう私の脳からは「他のことがしたい」という欲求が出まくっているからです。

欲求を押さえつけ続けている状態です。

その状態が長引けば、心は防衛反応としてそもそも欲求を出なくします。

それでどんどん無気力になっていくのです。

私がよくいう「迷い」に似た負荷です。

「葛藤」ともいうでしょう。


ストレスにならないタイプの人なら、

たとえ同じようにしていても他のことがしたいという欲求が出ていません

ので問題は起こりません。





「待ち」とコミュ力


相手に気を遣うことは待つことですから

「待つことがストレスにならないタイプ」の方がコミュ力が高く社交性が高いと言えるでしょう。


逆に「待つことがストレスになる」度合いが強い人ほど、

社交的であろうとするとストレスが比例して高くなりますので、

コミュ力と社交性が低いと言えるのではないでしょうか。


実際私は友人のみならず、かなり他人との関わりが薄いと思います。

ですがそれは私のストレスと交換条件になっていると確信しているので、

そのことが原因で悩んだことはただの一度もありません。


どういうタイプの人が待ち耐性が弱い人なのか


さて建前はこれくらいにして、ここからいよいよぶっちゃけトークをしますが・・・


ぶっちゃけ

知能が高いほど、待ち耐性が弱い

のではないかと考えています。


そう言われると


f:id:sakato0927:20190307152444p:plain:w70「ええ??そうかなぁ??」


と思うかもですが、先に述べましたね。


待ち耐性が弱い = コミュ力が低い


ですので結局のところ、

知能が高いほど、コミュ力が低い

ということなのです。


そう言われると納得いく部分があるかと思います。

賢い感じの人ってあまり広くは好かれなくないですか?

そんな感じです。


周りと比べて


理解のスピードが速い、

状況認識が速い、

無駄な思考がない、


と、どうなるか?


他者とのコミュニケーションにおいて、ひたすら待ってばっかりです。

わずかづつとはいえ、ストレスを感じる時間のトータルが非常に大きいものになります。


次第に、できるだけコミュニケーションを最小化しようとするのが当然の反応です。


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では、そういう人間はどう生きればいいのか


私は自分自身がそういう人間だと思っているので、

「そういう人間はどう生きていけばいいのか」という問題をシリアスに捉えています。


単純に考えると、こうです。


もう我慢して「待つ」

ストレスを強く感じながらでも、メンタルを病みながらでも、ちゃんと人並みに周りに気を遣って生きていく。

構いませんが、間違いなくハードモードです。



コミュニケーションを最小化して生きていく

基本的にはこのラインになるでしょう。

しかし、とはいえ人間は「社会的動物」です。

良好なコミュニケーションがないと、きっと人生は辛いものになるでしょう。


第三の道はないのか。

あります。

答えは、「待たない」が「良好なコミュニケーションをする」です。


どういうことか。


よりレベルの高いのコミュニケーションにフォーカスするのです。


長くなりましたので、その話はまた別の機会に。